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東京高等裁判所 昭和36年(ツ)169号 判決

上告人 下山博愛

被上告人 並木伝三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告理由は別紙上告理由書記載の通りである。

上告理由第一点について、

本件記録によれば被上告人が債務者たる訴外河田礼太郎の住所を知りながら、民事訴訟法第六一〇条に則り同訴外人に本件訴訟の告知手続をとらなかつたことは所論の通りである。然し右の訴訟告知を命じた趣旨はこれによつて債務者の利益を擁護しようとするものであつて、第三債務者(上告人)の利益を考慮したがためではないから、上告人がその手続違背を上告理由とすることはできないものと解すべきのみならず、訴訟告知がなされれば場合によつては係争債権の存否について別個の攻撃防禦の方法が提出されないとも限らないが、そのことから当然に訴訟告知の有無が判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。所論は理由がない。

同第二点について、

所論引用の訴状記載の請求原因第二項は被上告人が取立命令に則つて上告人の訴外河田礼太郎に対する家賃債務を取立てるべく、上告人に対し右取立命令を示して請求したが、上告人は故なくこれに応じなかつたというにすぎないから、上告人がその答弁書において右の主張を単純に争つただけでは必ずしも賃貸人が河田礼太郎であることを争つたと速断することはできない。却つて右答弁書の抗弁事実の欄によれば、上告人が昭和三十一年八月二十九日訴外河田礼太郎より同人所有の本件家屋を賃借した事実を認めた上、同日より二年間の賃料は既に前払してある旨を抗弁していることが明らかである。そして上告人は第一審の第一回口頭弁論期日において右の答弁書を陳述しながら、第二回の口頭弁論期日において賃貸人は河田孝雄であつて、河田礼太郎でないと主張するに至つたのであるから、原判決が本件家屋の賃貸人が訴外河田礼太郎である事実は当初上告人においてこれを自白したが後にこれを撤回したと判示したのは正当であつて、所論は理由がない。

同第三点について、

所論は要するに、本件の第一の争点は本件家屋の賃貸人が河田礼太郎か又はその息子の河田孝雄かの点であるところ、原判決は成立に争のない甲第三号証と第一審証人河田礼太郎並びに同下山健、第一審並びに第二審の証人河田孝雄の各証言により本件家屋の賃貸人は河田礼太郎である旨を判示し、他に右認定を左右する証拠はないと断じたけれども、乙第一並びに第二号証、第一審証人植竹文男の証言及び第一審における上告人本人尋問の結果によれば、河田孝雄が賃貸人であることを明認しうるに拘らず、これらの証拠を遺脱して判断の資料に供しなかつたのは、判例に違背し理由に齟齬があるというにある。

按ずるに原審は挙示の証拠により『本件家屋の所有者は河田礼太郎であつて、河田孝雄はその息子であるが、礼太郎が盲人なので家政一切を家族の者に任せていたところから、孝雄がメツセンヂヤー不動産に勤めている友人の植竹文男に右家屋の賃貸の周旋方を依頼し同社の周旋によつて上告人との間に賃貸借が成立するに至つたものであつて、周旋の依頼が孝雄名義でなされたため孝雄が名義上の賃貸人となつて賃貸借契約書(乙第一号証)が作成されたにすぎない』とし、結局名義上孝雄が賃貸人となつているにせよ同人は父礼太郎を代理して賃貸借契約を結んだもので、賃貸人は父礼太郎であると判断したものであつて、原判決挙示の証拠によれば右の通り認定できないわけではない。而して所論引用の証人植竹文男の証言や上告人本人尋問の結果は必ずしも原審の右判示と矛盾するものではないから、これらによつて右認定を左右するに足りないし、又原審が乙第一並びに第二号証を充分参酌した上で前記の認定に達したものであることは、原判決を通読すれば充分これを認めることができる。所論は結局原審の専権に属する事実認定を非難するに帰し採用できない。

同第四点について、

然しながら原判決は上告人が二年間の賃料を前払したとの抗弁事実について所論引用の証拠により証明十分であると判示しているのではなく、その証明が一応は十分なもののように見えるけれども第一審証人中尾文策、原審証人長谷川雅子の各証言、乙第一号証の訂正加除の記載と確定日附の押印の有無を対比検討すれば、乙第一号証の賃料前払の条項には強い疑がおこり、従つて又乙第二号証の記載の信憑性もうすいこと及び被上告人の本件債権差押命令並びに取立命令を申請するに至つた経緯に照らし、上告人の前記抗弁事実にそう乙第一、二号証の記載及び前記証人並び本人の各供述は結局措信できない旨を判示したものであることは、原判文に照らし明らかである。所論は結局原判決を正解しないでこれを非難するもので採用できない。

同第五点について、

裁判所は裁判に当つて自由心証主義に基き証拠を取捨し証拠に依つて事実を認定しなければならない職責をもつ。この場合各争点について到達した結論のみを判示するに止まらず、そこに至るまでの理由若しくは心証の経過を掲記することは望ましいことでこそあれ、排斥されるべきことではない。而して証拠のうち措信できないものがある場合その理由をあげることは必しも法規の要求することではないかも知れないが、できるだけその理由をあげる方がより親切な態度というべきであり、その結果場合によつては関係者に偽証、文書偽造の疑の生じることがあるのは、真に已むを得ないこととしなければならない。もし所論のような制約をおけば例えば偽造手形として支払責任なしと主張する場合、裁判所がその主張を正しいと認定しても理由があげられないという不都合なことになる。所論はこれを以て憲法第九九条第一三条に違反するというが、裁判所が理由として心証形成の経過を示す正当な職務の執行が憲法の右条項に反するとの見解は到底理解しがたいところである。所論は採用できない。

以上の次第で本件上告は理由がないのでこれを棄却することとし、民事訴訟法第四〇一条第九五条第八九条の各規定に則り主文の通り判決した。

(裁判官 梶村敏樹 室伏壮一郎 安岡満彦)

別紙 上告理由書

第一点、民事訴訟法第六一〇条によれば「債権者カ命令ノ旨趣ニ基キ第三債務者ニ対シ訴ヲ起スニ至リタルトキハ一般ノ規定ニ従ヒテ管轄ヲ有スル裁判所ニ其訴ヲ起シ且債務者内国ニ在リテ住所ノ知レタルトキハ其訴訟ヲ之ニ告知ス可シ」と規定して、債権取立の訴を提起するに当つては、内国に住所の明なる債務者に対し其の訴訟の告知を命じています。

然るに被上告人は本案債権取立請求の訴を提起するに当つて、内国に在りて住所が知れ第一審に於いて証人として取調を受けた、債務者たる訴外河田礼太郎に対して本件訴訟の告知をしていない。従つて控訴裁判所は、本件訴訟は訴訟手続に違背したものとして、民事訴訟法第三八九条第二項に基いて本件訴訟を第一審に差戻さなければならない。而して債権取立命令に基づく債権取立の訴に関する訴訟告知は、債権取立に係る債権の存否、債権取立の訴に関する攻撃防禦、訴訟告知の効果(民訴七八条)等、判決に影響を及ぼすこと明らかなるものがある。よつて原判決が民事訴訟法第六一〇条による債務者たる訴外河田礼太郎に対し本件訴訟の告知のない本件債権取立請求を許容されたのは、民事訴訟法第三九四条に規定する、「判決ニ影響ヲ及ホスコト明ナル法令ノ違背アル」ものとして破毀すべきであります。

第二点、原判決は其の理由として、「控訴人主張の債権差押及び取立命令が発せられ、その正本が昭和三一年一一月一五日被控訴人に送達されたことは、当事者間に争がない。そこで、右差押及び取立命令の対象たる家賃債権の存否について判断する。債権存否に関する第一の争点は、被控訴人に対する本件家屋の賃貸人が差押命令の債務者たる訴外河田礼太郎なのか、それとも訴外河田孝雄なのかという点である。この点については、当初被控訴人においてこれを自白し、後に右自白を撤回しているが、被控訴人の全立証によつても右の自白が真実に反し、且つ、錯誤に出でたものであることはこれを認むるを十分でなく云々」と説示されています。

然るに本件訴訟の口頭弁論の経過を検討するに、

一、上告人は、昭和三二年一〇月一六日の口頭弁論において、同年九月四日附答弁書に基いて陳述し(記録三八丁)、該答弁書の請求原因に対する答弁の第二項において、「訴状請求原因第二項記載の事実は之を争います」と主張し、訴状請求原因第二項の「原告は右命令の本旨に従い、被告に対し差押をなし、且つ取立命令を受けたる、東京都三鷹市下連雀二一九番地所在家屋番号同所第七八八番の三木造瓦葺平家建居宅壱棟建坪拾参坪に対する昭和三一年一二月一日以降一ケ月金参千円也の被告が訴外河田礼太郎に支払いすべき家賃債務を取立すべく該命令を明示して請求したるも、之れに故なく応ぜず云々」との被上告人の主張事実、即ち上告人が本件家屋を訴外河田礼太郎より賃借したとの事実を、上告人は当初より争つているものであり、自白した事実は全然存在しない。

二、唯昭和三二年一〇月一六日の口頭弁論において陳述した答弁書の抗弁事実において、訴外河田孝雄と書くべきものを誤つて訴外河田礼太郎と書いてある為め、自白したような疑惑を受けていますが。然し上告人は、(イ) 前述一に述べたように答弁として、本件家屋は訴外河田礼太郎より賃借した事実を争い、且つ其の立証として、同日の口頭弁論において乙第一号証及び乙第二号証を提出し(記録三九丁)。(ロ) 同年一一月二〇日の口頭弁論においては、抗弁として「被告(上告人)が賃借しているのは河田孝雄からであり、同礼太郎からではない。同孝雄に対しては差押前既に賃料を支払済である。」と陳述し(記録四八丁裏)。(ハ) 更に同年一二月一六日の口頭弁論においては、同日附準備書面に基づいて、「被告(上告人)が、本件賃貸家屋を賃借しているのは訴外河田孝雄であつて、賃料は同人に対し、昭和三一年八月二九日同日より昭和三三年八月二八日迄の二ケ年分、金七万弐千円を前払として支払を了している」旨を陳述し(記録五六丁)。結局上告人は、終始一貫して、本件家屋は訴外河田孝雄より賃借しているものであつて、訴外河田礼太郎より賃借したものでないと争つています。

よつて原判決が、大審院の「民事訴訟法第百八十五条ニ所謂口頭弁論ノ全趣旨トハ或ル証拠調ノ結果以外口頭弁論ニ現レタル一切ノ訴訟資料ヲ指スモノニシテ裁判所ハ当事者ノ孰レノ主張事実ヲ真実ト認ムヘキヤハ証拠調ノ結果ノミニ依ルヘキモノニ非スシテ弁論ノ全趣旨ヲモ斟酌スヘキモノナリ。」(昭和九年(オ)第八号、同年五月二五日判決)との判例に背反し、且つ民事訴訟法第一八五条によつて前述口頭弁論の全趣旨を斟酌せず、上告人は本件家屋の賃貸人は差押命令の債務者たる訴外河田礼太郎であると自白したとの誤つた前提の下に、その自白の撤回を云々されたことは、判決に影響を及ぼすこと明なる同条文に違背したものとして破毀すべきであります。

第三点、次に原判決は其の理由として、「債権の存否に関する第一の争点は、被控訴人に対する本件家屋の賃貸人が差押命令の債務者たる訴外河田礼太郎なのか、それとも訴外河田孝雄なのかという点である。この点について、当初被控訴人においてこれを自白し、後に右自白を撤回しているが、被控訴人の全立証によつても右の自白が真実に反し、且つ、錯誤に出でたものであることはこれを認めるに十分でなく、かえつて成立に争のない甲第三号証と原審証人河田礼太郎、同下山健、原審及び当審証人河田孝雄の各証言によれば、賃貸家屋は河田礼太郎の所有であつて、河田孝雄はその息子であるが、礼太郎が盲人なので家政一切を家族の者に委せていたところから、孝雄がメツセンヂヤー不動産に勤めている友人の、植竹文男に右家屋の賃貸の周旋方を依頼し、同社の周旋によつて被控訴人との間に賃貸借が成立するに至つたものであつて、周旋の依頼が孝雄名義でなされたため孝雄が名義上の賃貸人となつて賃貸借契約書(乙第一号証)が作成されたにすぎないものであることが認められ、他にこの認定を左右するに足る資料はない。したがつて、被控訴人のなした自白の撤回はその効力がなく、被控訴人に対する家屋賃貸人は、控訴人主張のとおり、債務者たる河田礼太郎であるといわなければならない。」と判示され、成立に争のない甲第三号証と原審証人河田礼太郎、同下山健、原審及び当審証人河田孝雄の各証言以外には、この認定を左右するに足る資料はないと断ぜられた。

然るに右第一の争点たる、上告人(被控訴人)に対する、本件家屋の賃貸人が差押命令の債務者たる訴外河田礼太郎なのか、それとも訴外河田孝雄なのかという争点に関しては、原判決が判断の資料となされた、甲第三号証と同一審証人河田礼太郎、同下山健、第一、二審証人河田孝雄の各証言以外に、

一、上告人が其の主張立証の為めに、昭和三二年一〇月一六日の口頭弁論において書証として提出した乙第一号証及び乙第二号証があり(記録三九丁)。然も乙第一号証は昭和三一年九月五日附確定日附ある文書であり、被上告人主張の債権差押及び取立命令が発せられ、その正本が昭和三一年一一月一五日上告人に送達された以前、既に確定日附を受けた文書である。而して乙第一号証にある五ケ所の訂正箇所には、貸主河田孝雄、借主下山博愛、立会人株式会社メツセンヂヤー不動産社長、三者の印が夫々押捺されて在るが、この訂正箇所に関しては後述の如く原判決の異論があるので、暫くこの部分に就いての陳述を差控えるとしても、確定日附を受けた昭和三一年九月五日の前後を通じて其の記載を争い得ない部分には、貸主河田孝雄を甲とし借主下山博愛を乙として賃貸借契約を締結する旨の記載、第一条(賃貸借期間)、第三条(譲渡転貸の禁止)、第五条乃至第八条(賃貸借契約条項)、第一一条(契約書三通作成所持)の記載、及び貸主河田孝雄、借主下山博愛の署名捺印、立会人株式会社メツセンヂヤー不動産の社印並びに社長印が押捺されて在る。又乙第二号証は確定日附の押捺はないが、乙第一号証に基づいて昭和三一年八月二九日附で同日より昭和三三年八月二八日迄二ケ年間の賃料金七万弐千円を河田孝雄において受領した旨の記載がある。

二、又上告人が其の主張立証の為めに申請して、第一審で尋問された証人植竹文男は、乙第一号証を示されて、「この契約書は証人が以前勤めておりました株式会社メツセンヂヤー不動産の備付用紙を用いて作成されたものですが、証人が書いたものではありません、然し証人はこの契約を証人の学生時代の友人である河田孝雄から頼まれて、証人が仲に入つて被告に貸すようになつたものですから知つております。契約の際家賃の取決めは確か二ケ年分前納という事でした。)と供述し(記録九八丁裏より九九丁)。更に「河田から依頼を受ける際話のあつた、賃借するについて前家賃二ケ年分という条件をも話しましたが、被告の息子さんは、帰つて父に相談してくるということで、その日は帰り、その翌月被告の方から会社へ電話で、河田の家を借りる事に決めたと言つてまいりました、それで証人は被告からの電話の趣旨を会社の人に話しましたので、会社の係の者が、会社の備付の用紙を用いて契約書を作成し、証人はその係の者が作つた契約書を係の者から受取つて封筒に入れ河田孝雄に渡しました。河田は証人が渡した契約書によつて、被告との貸借契約をしたものと思いますが、証人が河田に渡した契約書が、お示しの乙第一号証だと思います。乙第一号証の印刷以外に書込まれた文字は会社の者が書き込んだものに間違いないが、誰が書き込んだものかわ成された真実の文書であるかどうかの点について多大の疑問が生ずるのである。(以下第二の争点に関する原判決後段第一の理由という)。

第二に、本件差押及び取立命令申請の経緯を考えると、この点からも疑惑が生じてくる。控訴本人は原審における第一、第二回尋問において、昭和三一年一一月一二日頃被控訴人の妻の下山須磨子について事情を聴取したところ、同人は家賃は毎月一日払いで、一一月分の家賃は支払つたが、一二月分の家賃はまだ払つていないと答えたので、本件差押及び取立命令の申請をしたものであると供述している。この供述は成立に争のない甲第一号証の記載にも合うし、少しも無理がなく、十分に信用ができるもののように思われる。当審証人下山須磨子は、控訴人来訪の際、控訴人に対し家賃全額前払済みの旨をはつきり告げたと証言しているが、もしそうだとすれば、控訴人が本件差押及び取立命令の申請に及んだことはいかにもおかしなことであつて、特別な事情のない限り、その合理的な説明は不可能になつてしまう。(以下第二の争点に関する原判決後段第二の理由という。)」と判示された。

然しながら原判決は、本件第二の争点に関する原判決前段の理由において、「原審証人植竹文男、同下山健、原審及び当審証人河田孝雄、同下山須磨子の各証言、並びに原審における被控訴人本人の尋問の結果中には、被控訴人の右の抗弁に合致する供述部分があり、右植竹文男、河田孝雄、下山健の各証言によつて真正に成立したものと認められる乙第一号証及び第二号証にも、この点について明確な記載がある。これらの資料からすれば、被控訴人の抗弁事実はその証明十分なもののようにみえる。」と判された以上。原判決が、

一、本件第二の争点に関する原判決後段第一の理由において、「当裁判所は(乙第一号証)第二条の抹消と第九条の前納条項が後日の記載に係るものではあるまいかという強い疑惑をどうしても払拭し切れないのである。そしてこの点が疑わしいとすると、乙第二号証もまだ果してその作成年月日に作成された真実の文書であるかどうかの点について多大の疑問が生ずるのである。」と判示されても、疑問はどこまでも疑問に過ぎないので、論理の法則上前述第二の争点に関する原判決前段の理由のうちの、乙第一号証及び乙第二号証の成立に関する前述認定を打消す理由とならないし、ましてや、乙第一号証及び乙第二号証以外の証拠による、前述第二の争点に関する原判決前段の理由を覆す理由となり得ない。

二、又原判決は、第二の争点に関する原判決後段第二の理由において、「本件差押及び取立命令申請の経緯を考えると、この点からも疑惑を生じてくる。」と判示されたが、本件差押及び取立命令申請の経緯は、本件賃貸借契約の成立に直接関係のない事実であり、且つそれは本件賃貸借契約の成立に直接関与しない、証人下山須磨子と被上告人本人の尋問に関する証拠判断に過ぎない。従つて第二の争点に関する原判決後段第二の理由をもつてしても、第二の争点に関する原判決前段の理由に列挙された、証人植竹文男、同下山健、同河田孝雄、及び上告人本人下山博愛の供述を資料として認定された「被控訴人(上告人)の抗弁事実はその証明十分なるもののようにみえる。」との事実認定は厳として存在し、論理の法則上、前述第二の争点に関する原判決前段の理由は依然として生きていることとなる。

依つて原判決理由は、大審院が民事訴訟法第一八五条に関して「証拠ノ価値ハ裁判所ノ自由ナル心証ニ基キ判断スルコトヲ得ヘキモノナリト雖モ其判断ヲ為スニハ論理ノ法則ヲ無視スルヲ許ササルモノトス。」(大正九年(オ)第八九九号、同一〇年一二月一日判決)と判示された、証拠価値ひいては事実認定に関する論理の法則に違反するものであり、判決理由に齟齬あるものとして破毀を免れないものであります。

第五点、原判決は、事実審理に関する自由心証主義という名において、憲法第一三条によつて国民の基本的人権として保障された、個人の尊重を侵害した違法あるものと思料せられ、この点においても亦破毀さるべきものであります。

即ち原判決は、本件差押及び取立命令の対象たる家賃債権の存否に関する第二の争点たる、家賃の前払があつたかどうかとの争点に就いて、判決理由として、乙第一号証の貸家賃貸借契約書の成否に関し、「当裁判所は、第二条の抹消と第九条の前納条項が後日の記載に係るものではあるまいかという強い疑惑をどうしても払拭し切れないのである。」と判示された。この判決の結果、乙第一号証の成立に直接関与した、証人植竹文男、同下山健、同河田孝雄の三名は刑法第一六九条偽証罪の嫌疑を受ける結果となり。又乙第一号証の第二条と第九条の上欄に捺印した、貸主河田孝雄、借主上告人の代理人たる下山健、及び立会人株式会社メツセンヂヤー不動産社長の三名は、刑法第一五五条第二項公文書変造罪の嫌疑を受ける結果を招来するに至つた。

而して本件口頭弁論においては、当事者より乙第一号証に関して偽造の申立もないし。又前述乙第一号証の第二条と第九条の上欄に捺印した三名の者も、刑事被疑者として訴追せられ、刑事裁判を受けて裁判官の職権によつて証拠調を経て、刑罰を受くべき地位にある者でもない。一方裁判官としては、憲法第九九条に基づいて「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」者であり。従つて憲法第一三条に規定された、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、最大の尊重を必要とする。」との憲法上保障された個人尊重の義務を負はるる者であります。然らば原判決がその理由において、前述各証人又は乙第一号証の第二条及び第九条の上欄に捺印した三名の者において、刑法上重大な責任を問はるべき事実に関して、前述のような判決理由を説示されたことは、憲法第九九条並びに同第一三条に違反するものと思料せられます。依つて原判決は憲法に違反するものとして破毀すべきであります。

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